生誕は西暦を用いて明記
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鏡女王
生没 〜683年8月5日/〜天武天皇12年7月5日
(かがみのおおきみ)




万葉集
 鏡王女 
日本書紀
 鏡姫王 




鏡王
 
中大兄皇子→中臣鎌足
姉妹
額田王





略  歴
 
旧暦
   
669年     夫・中臣鎌足 病床に倒れる
  山階寺を建立 (後の興福寺)
夫・藤原鎌足の病気平癒を祈る為
10月16日   藤原鎌足 死去
683年 7月4日   天武天皇が見舞いに訪れる *
  7月5日   死去




・鏡女王に纏わる詩・
万葉集第2 92番 万葉集第2 93番 万葉集第4 489番








代表的な万葉歌人で藤原鎌足の正室

謎多き人物の1人で額田王と姉妹と言われているが実際にはそれを証明する書物は残っていない。
『鏡』という同じ文字が使われていることから鏡王のゆかりはあると思われているがそれは定かになっていない。
また舒明天皇の皇女だという説もあり最初は中大兄皇子(天智天皇)の妃**だった。
その頃に妊娠していて子を宿したまま中臣鎌足の元へ嫁いだ説もあり、藤原不比等の母である説もある。

鎌足死去後に残された歌より
始めはそぐわないと思った結婚だったが女性として満たされ幸せな時を過ごしていたのではないかと思われる。


丙戌の己丑(四日)
に、天皇、鏡姫王の家に幸して、病を訊ひたまふ。庚寅(五日)に、鏡姫王薨せぬ
と言うことが日本書紀に残されていることから予測される史実





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