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倭媛王
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生没 詳細不明 |
| (やまとのひめみこ) |
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皇后
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倭大后(倭媛皇后) |
| 倭姫王 |
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父
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古人大兄皇子 |
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母
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夫
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中大兄皇子(天智天皇) |
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旧暦
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| 645年 | 6月12日 |
大化の改新
乙巳の変 (いっしのへん |
夫・中大兄皇子指揮の元、蘇我入鹿暗殺 |
| 蘇我家所縁の母(法堤郎媛/蘇我馬子の娘)を持ち蘇我入鹿と懇意だった父・古人大兄皇子の立場が危ぶまれる | |||
| 古人大兄皇子 吉野へ出家 | |||
| 9月12日 | 吉野にて古人大兄皇子刺客により殺害(謀反をかけられ処刑/11月30日?) | ||
| 668年 | 1月3日 |
天智天皇即位
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長年皇太子だった夫の即位 |
| 2月23日 |
立后
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皇后となる | |
| 671年 | 12月3日 | 天智天皇崩御 | |
| 没年 不明 |
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・倭媛王に纏わる詩・
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| 万葉集第2 147番 | 万葉集第2 148番 |
| 万葉集第2 149番 | 万葉集第4 153番 |
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38代天皇 天智天皇の皇后 |
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| 西大寺伽藍縁起并流記資財帳 仲天皇(なかつのすめらみこと)というのが記載されている。 この天皇が即位していたと思われるのが天智天皇崩御から天武天皇即位の間である。 そもそも明治時代に入るまで壬申の乱の祭に即位していた弘武天皇(大友皇子)は即位していないものとされていて空白の期間の1年2ヶ月の間、形式上奉られていたと考えられている諸説がある。 |
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